青木一重が使用していた刀、青木兼元(あおきかねもと)
鍛えられた日本刀
青木兼元(あおきかねもと)
美濃国の刀匠孫六兼元により鍛えられた日本刀。「真柄切」や「真柄切兼元」とも呼称される。孫六の作刀の中でも最高傑作と評される一品。
元亀元年 姉川の戦いにおいて、暴れ回る朝倉氏の家臣真柄兄弟を討ち取った青木一重が使用していた刀で、その名が知られるようになった。
孫六の作刀
青木兼元(あおきかねもと)は美濃国の刀匠孫六兼元により鍛えられた日本刀。真柄切や真柄切兼元とも呼称される。孫六の作刀の中でも最高傑作と評される一品[1]で重要美術品に指定されている。
呼ばれる特徴
実測70.6センチ、反り1.51センチ、元幅3.1センチ、先幅2.5センチの日本刀で、刃文はいわゆる「関の孫六三本杉」と呼ばれる特徴を有している。
元亀元年(1570年)に朝倉氏・浅井氏と織田氏・徳川氏の間に近江国で起こった姉川の戦いは数的優位に立った織田氏・徳川氏側の勝利になったが、朝倉氏の家臣であった真柄直隆、真柄直澄兄弟、真柄隆基らの必死の抵抗が続いていた。刃渡5尺を超える大太刀を持ち、暴れ回る真柄兄弟を討ち取った[2]青木一重が使用していた刀で、その名が知られるようになった。
有名になり過ぎて
三島の介錯は弟子の森田必勝だったが,未熟のため首に二度斬り付けたが失敗した為三度目に古賀浩晴が代わって,ようやく首を落とした。次いで森田が切腹すると同じく古賀が介錯をした。三島の切腹は海軍将校用の短剣(銘不明)との事である。
三島の介錯刀は「関の孫六兼元」,二尺三寸五厘(69.8cm)と云われていましたが,日刀保の鑑定では有名な孫六とは別人で「後代兼元」となっており,何人もいる兼元の一人で,多分,寛永(1624)頃の新刀の田代源一郎兼元,であろうと云われております。この兼元はランクも下から二番目の「貴重刀剣」ですので,愛刀家が熱心に保持するに値いしない凡刀と云う事になります。
往時は村の刀工の一人がビックになると同銘が続いてドッーと現れるのが普通でした,この兼元も,元亀元年(1570)北近江の姉川で信長と朝倉が戦った姉川の合戦の折りに,青木一重が朝倉方の強豪の真柄十郎左衛門を討ち取った時の刀が孫六兼元であったので,以来,兼元は刀剣界のビックスターとなった訳でして,当時の関鍛冶は売出し中であり,「折れず,曲がらず,よく切れ,安い」の他に格好のネーム・バリューが付いた次第で,全国各地から「兼元」銘で注文が殺到したハズでありんす。
同時代の備前長船鍛冶の祐定も〜我に七難八苦を与え賜え〜と天に祈った尼子の忠臣山中鹿之助の佩刀の「与三左衛門尉祐定」が有名になり過ぎて,○○や△△銘の祐定が矢鱈に多くなりそれが代々続いて来ており,400年以上経った現在も兼元・祐定銘のどちらも継承されて日々に鍛刀されています。尚,現在この青木兼元は重要美術品です。
打ち込む様
首を落とすときの心得として,首筋に目を止めて斬ったら必ず仕損じる,顎と肩との隙間に刀を打ち込む様に喉の方に狙いを付けて斬れば間違いは無い,これが極意である。そすれば,たとえ初心者であっても滅多に斬り損じるものでは無い,と秘伝書は云う。(懐宝剣尺)。
青木一重が使用していた刀、青木兼元(あおきかねもと)